ベーチェット病(難病克服ストーリー vol.4)

やりたかった夢に向かって…

今まで元気に過ごせてきたのに…
不調を感じるようになったのは17歳の頃でした。
口内炎が途切れることなくでき、よく微熱が出るようになりました。

そして20歳になったある日、左首リンパ腺が腫れて、微熱が1週間ほど続いたのです。
体重が8キロも減って、診断されたのは亜急性壊死性リンパ節炎。

3年間ずーっと毎日続いていた口内炎は気にもとめてもらえず、ステロイドを1週間投薬して完治と言われました。

ちょうどその頃、なりたかった職業をおばあちゃんに反対され、医療系の仕事に進路を決めた頃でした。

「医療系もちょっとカッコイイかな」
「田舎を出るなら、東京もイイかな」

今思うと自分で自分を説得していたように思います。
おぱあちゃんの家族に対する影響力の大きさから、夢を断念せざるを得なかったのです。

相変わらずの口内炎。
朝起きた時の手の指のこわばり、痛み。
血液検査では異常がみつからない。

身体の不調が気になりながらも、その頃の私は、病気のことや症状とかをオープンに話せませんでした。
いろいろな気持ちを一人で抱え込んでしまっていたと思います。

不安な気持ちもありながも、東京で始めての一人暮らしがスタート。
仕事は忙しく、いわゆるブラック企業…
毎日、夜遅くまで仕事が続きました。

「思ってたのと、ちょっと違うかな…」
心も体もムリを感じ、ふさぎがちになってしまっていきました。

「疲れた…社会から外れたい…少し休憩したい」

そんな気持ちが強くなっていき、仕事を辞めて帰省する決断をしました。
その直後に、21歳の私が診断されたのがベーチェット病という難病でした。

私は、病院や薬が難病を治してくれると思っていました。

でも、若い頃に東洋医学を勉強した母は、西洋医学の薬に頼らずに治癒力をあげること、そして戸田さんのブログを勧めてくれました。
警戒心の強い私は、半信半疑でしたが、戸田さんのブログを読み、娘さんが走る動画を見て、母を信じようと決めれたのです。

お父さんや弟、おばあちゃんまでもが協力してくれました。
「私、何がなんでも治るよ!」

最初の頃は、ネット検索しては「難病なのに治るの?」と不安になることもありましたが、母のすすめで飲み始めた七葉純茶で、すぐに体調の変化がでたのです。

戸田さんの面談も受け、その際にいた多発性硬化症を克服された若い女性スタッフの方とも話ができ、不安がどんどん安心に変わっていきました。

大学病院の先生にも恵まれ、減薬から断薬まで順調に進められました。
あんなに続いた口内炎や肩こり、毛膿炎に不安になることはありません。
薬を飲まなくても身体が疲れにくくなり、私は元気だと自信が持ててきました。

今は、なりたかった職業をアルパイトの形で働きながら、国家資格をとることを目指しています。
身体の不安がなくなり、将来の夢を持つことができたのです。

病気のお陰で大切なことにも気づけ、本当にやりたかった道へと向かうことができました。

自分にとって難病を克服できたポイントを今振り返ると…

・家族が同じ気持ちで力を合わせられたこと
・体の変化をすぐに感じることができ、不安にならずに前に進めたこと
・病気を周囲に隠すことなくオープンにして、友達や彼氏にも相談できたこと

ムリしすぎず、時には自分のご褒美も忘れず、毎日やることをしていたら、不安なく元気な自分になれました。
これからも食事の大切さと、心が満足できるよう、うまくバランスをとっていきたいと思います。

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