多発性硬化症(難病克服ストーリー vol.5)

病気の原因って、自分の中にもあった

香川県女性
生まれて間もなくアトピー性皮膚炎
14歳の時に若年性リウマチ
17歳でシェーグレン症候群
そして最後に18歳の時に多発性硬化症

多発性硬化症の時は、なかなか病気をつきとめれず…
2ヶ月が過ぎた頃、やっと何の病気かがわかったのです。

「医大に紹介状を書くからすぐ入院」と言われました。
でも、母は自宅から4時間もかかる東洋医学の病院を考えていたのです。

私は医大が病院の最高峰だと考えていたので、医大受診を懇願し…
西洋医学でステロイド漬けになるのを恐れた母の意見と対立!
最終的には母の指示で、東洋医学の病院に入院することになりました。

少しずつ気力が戻ってきた頃、自分の病名をネット検索してみました。

歩けなくなる、目が見えなくなる、喋れなくなる…

「また治らない病気か~」
不思議と涙ではなく笑けてきたのです。
自分の病気と向き合うのが怖くて、検索することをやめました。

そんな時に抗がん剤を使わずにがんを克服された方に病院で出会い…
その方の本から東洋医学の考えを知り、病気になる根本を考えるようになったのです。

母の勧めで東洋医学の考えを持つこの病院にたどりついたように、私は幼い頃から母のひくレールに乗るのが常でした。

でも、やっと目が覚めたのです!

根本的に見つめなおさなければ…
何か原因があるはず…
でないと、また、病気になってしまう

それからはネットで色々な情報を探しました。
そして『難病克服支援センター』を見つけたのです。

「100%真正かどうかはわからない」
「けれど、すごく何か心に引っかかる」
「とりあえず、メール送ってみよう」

初めて自分で考え、行動し、たどり着いたのが『難病克服支援センター』でした。

戸田さんとの電話のあと
「なんかわからんけど、治るかも…。」
直感的に変な自信がついたのを思い出します。

初めて自分から病気に向き合うことができたのです。

身体にたまった悪いものを出し、良い栄養を摂る。
難病の克服に一緒になって向き合ってもらい、叱咤激励の日々。

そして、戸田さんからのサポートの中で、いろいろなことを振り返って考えてみました。
病気になった原因、そのスイッチ…

小さい頃から「人の悪口を言わない」など、モラルに厳しかった母。
「将来は公務員」と決められて、大学までのレールがひかれていた。

私はというと、すごく負けず嫌い!!
勉強もスポーツも、やるからには負けたくない!

文武両道な優等生…なのに、人の目が気になってしまう。
自分を出せず、全部自分の中にストレスを溜めこむタイプ。

また、妙に真面目で、手を抜くことが怖くてできない。
周囲からの期待も裏切れない。
どんどん自分を追い詰めてしまっていました。

病気の原因って、自分の中にもあったんだ!

不安、心配、気負い、ストレス…
身体は正直だなぁと思います。
自分ですら気づけてなかった自分の本音に反応していたのです。

断薬から4年。
難病を克服し、この春には社会人!

念のために受けたMRIの検査で、「本当に炎症があったの?」と聞かれたほど、脳の病巣は跡形も消えていました。

病気になって気づけたこと。
病気を通じて広がった人の縁。
今は色々なことに「ありがとう」の気持ちでいっぱいです。

そんな私から、闘病中の方へのメッセージです。

   「大丈夫」の気持ち

「幸せ」がいきわたりますように

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