生まれて数年間は、心の声と本能だけで生きています。
何の概念もなく、余計な情報も入ってこないので、人目を気にすることはありません。
もちろん、プライドもないので何もできない自分を恥じることもなく、責めることもしません。
見えない、食べれない、着替えられない、垂れ流し、すべて全肯定です。
その存在だけで、誰からも十分に認められます。
ありのまま、心のままで良しとされる期間です。
園や学校へ行くようになると、周りと自分との比較が始まります。
自ら比較するのではなく、大人の目がどこを向いているかに合わせ始めるのです。
運動会で一等になると親が喜び、褒めてくれます。
テストで100点をとると先生や親が喜んでくれます。
その反応が嬉しく、安心にも繋がり、また頑張ろうという気持ちが生まれます。
人を喜ばせたい、認められたい、褒められたい、そんな感情が生まれてきます。
この経験から「頑張ること」や「人を喜ばせたい」「人の役に立ちたい」という人間が本来持っている心を育てていきます。
勉強だけでなく、そういう事を集団生活の中で学べるのが、学校教育なんだと思います。
年齢とともに部活や成績、進学、就職などふるいにかけられたり、競争だったりが増えていきます。
そんな中で心の声が聞こえづらくなることもあります。
周囲の目や情報に、意識が奪われてしまいがちになります。
生きる価値観が、心の声から周囲の目や評価へとウエイトが変わっていくのです。
周囲や世間が求めているものや、その評価が分かることで、人の役に立つことができます。
人の役に立てることは、生きがいになったり喜びにも繋がります。
しかし、大人や親が子供たちに対して、そればかりを強く意識させてしまうことは危険だなと思います。
求められている期待に応えることで頭がいっぱいになるからです。
子どもに「〇〇でなければいいけない」と感じさせてしまうと、心のゆとりをなくさせてしまい「自分が本当にやりたいことや本心」に気づけなくなってしまいます。
「人を喜ばせたい」「人の役に立ちたい」という気持ちが薄れていき、頑張る意欲をなくさせてしまいます。
期待やプレッシャーが励みになっているうちはいいのですが、それが義務になってしまうと心の成長を止めてしまうのです。
また、それは体へも大きなダメージを与えてしまいます。
心、頭、体がバラバラになってしまい、そのことが体に負担になるからです。
難病になった人は、無意識に頑張りすぎてしまったり、人からの評価を気にする人が多いのです。
それらの癖は、子どもの頃の環境が影響している人も多いのではと思います。
生まれた時は全肯定、なんでもOKだったはずだからです。
大人や親が子供たちに何ができるかと考えた時に
「強い体へのサポート」と「幸せだと感じて生きていける」ように導くことだと思います。
体と心、その2つをサポートしながら見守ることが大人として、親として子供たちに出来ることだと感じます。
強い体を作るには何が必要か?
幸せだと感じて生きていくには何が大切か?
大人は失敗をしながら、いろんな経験をたくさんしています。
そういう経験をもとに、うまく子供たちを導いてあげたいですね。
・世間の声を聞きながら、心の声にも耳を傾けられるように
・情報に惑わされず、自分で調べて判断できるように
・上下関係だけでなく、役割の違いに気づけるように
・先を争うだけでなく、今を楽しめるように
・人を蹴落とすでなく、手を差し伸べられるように
健康で自分らしく生きていけるように
大人は自分が見本になれなくても、導いてあげることは出来るのかなと思います。
難病克服支援センター
戸田