カウンセリングしていて思うことは、難病になってしまうほど頑張ってしまった人が多いことです。
頑張ることに麻痺してしまい、気が付いたら体や心のバランスを崩してしまった人が非常に多いです。
難病になって自分を振り返り、無理をしていた自分に気づくそうです。
そういう人が多いのは、競争することを身につけるための教育を受けてきたのかなと思います。
心のままに意識しあい、刺激しあいながら、共に成長するような頑張りなら、心や体に負担にはならないと思うのですが
自分の心に蓋をし、弱音を吐かずに競い合うような頑張り方が身についてしまいやすいのかなと思います。
しかし、4~50年前の人は頑張ったからって難病にはなっていませんでした。
この違いは何だろうと考えると
・頑張ることによる心の満足度合
・体がどんな物を食べて出来ているか
この2つが大きな違いだと思います。
高度成長期のころは、自分の気持ちや生活を犠牲にして頑張っても、見返りがあったでしょう。
頑張った分だけ生活が豊かに変化し、頑張るエネルギーを得ることが出来たんだと思います。
頑張ることで生活がどんどん豊かになり、楽しみも増えていったのだと思います。
自分が好まないことでも、頑張ることで満たされるものがあったのです。
当時の私は子供でしたが、世の中が活気に満ちていて、大人が楽しそうだったので、子供たちも明るかったです。
しかも、今と比べると食生活は自然なものが多かったです。
スーパーはなく市場でした。
豆腐屋さんが自分が作った豆腐を売っていた時代です。
もちろん、ファミレスもファストフードもコンビニもありませんでした。
そんな時代だから、頑張れば心は満たされて、自然な物で出来た体は丈夫だったのだと思います。
しかし、現代は頑張った見返りが少ないにも関わらず、食べ物や空気は毒まみれです。
そんな中で頑張りすぎてしまうと、どうしても体は悲鳴をあげてしまいやすいでしょう。
心が満足できることや体に優しいものが少なく、心や体に負担になるものが多い世の中ですからね。
そういう理由で病人が増えているというより、発病率が上がってるのだと思います。
誰でも病気になりうる”種”のようなものは持っているのだと思います。
その”種”は、心が満足することが多かったり、体が自然なもので満たされていると”種”のままなんだと思います。
多少、無理したとしても、それを受け止められる心や体でいられるんだと思います。
しかし、心が満たされず不満や不安を抱えて、不自然で加工されたものばかり食べていると、その”種”が芽を出してしまうんだと思います。
便利で合理的な現代は、心や体は悲鳴をあげやすい時代になっているということですね。
難病克服支援センター
戸田