家族の誰かが難病になると、家族それぞれの立場で苦しさや思いは違いました。
私は難病の子を持つ父親として
嫁は難病の子を持つ母親として
長女は難病の妹を持つ姉として
次女は難病になった本人として
私は「治してあげたい、どんなことをしてでも必ず治してみせる!」
「治せるかな。。。寝たきりは見たくない」そんな気持ちでした。
嫁は「守ってあげたい、長生きして私が世話をし続ける」
「出来ないことは私が全てカバーしてみせる」そんなことを思っていたようです。
長女は「なんか妹が変だ。。。大丈夫なのかな」
「可哀そう。。。何もしてあげられない。。。どう接してあげたらいいの??」戸惑いがあったようです。
次女は「体がうまく動かない。。。」
「怖い。。。治らなかったらどうしよう。。。治してくれるのかな。。。」
「何も出来なくなっていく。。。治りたい。。。」恐怖と不安でいっぱいいっぱいだったと思います。
次女が難病になったという一つの出来事に対して、立場が違えば思いや辛さの種類が変わってきます。
与えられた課題や現実が少し違うからです。
そして、みんなそれぞれが、その現実に対して戦っていました。
私には嫁の辛さや長女の辛さ、次女の本当の辛さは分からなかったと思います。
分かろうとする余裕もありませんでした。
私の辛さは、嫁や長女、次女には分からなかったと思います。
それぞれが苦しい中で、分かって欲しいという思いはあったと思います。
しかし、それぞれが必死でその現実と向き合っている姿があり、その思いは外に出せませんでした。
人は苦しい時ほど、自分の気持ちを優先してしまいます。
そして、身近な人に自分の気持ちを分かって欲しいと感情的になってしまいがちです。
しかし、それを求めると、相手も同じものを求めたくなり、頑張る方向が少し変わってしまうのです。
それでは、感情がぶつかり合ってしまい、頑張るエネルギーを奪い合ってしまうのです。
それぞれの本当の辛さは本人しか分からないのです。
本人含め、周りの頑張っている姿を励みに、自分は自分で頑張ることができ、それぞれがそれを乗り越えようと前に進むことで自然と力が合わさるんだと思います。
そして、その力や願いがみんなが願う未来へと近づけてくれるのだと思います。
思いや苦しさは違えど次女を何とかしてあげたい、幸せになって欲しいと願う気持ちは同じでした。
次女は小さいながらも弱音一つ吐かずに現実と向き合い続けました。
そんな中で多くの人に助けられて、人を信頼する心が育ちました。
本当の優しさを持った人を見極める力を備えました。
感謝する心や人に頼る勇気を持つことが出来ました。
長女は苦しい時に笑って元気に乗り越える力を備えました。
自分のことは自分で考え、自分で道を開く力を得ることが出来ました。
嫁は今を楽しむことの大切さを知り、今を生きる心を得ることが出来ました。
私は闘病中の人に必要なことは何なのかを知ることが出来ました。
そして、人間の体の仕組みに気づくことが出来ました。
それを闘病中の人に役立てる力を得ることが出来ました。
今だから思えることですが、人は苦しい時ほど自立心が育ち、生きる力や知恵、勇気を備えているんだと思います。
一つの出来事であり、それぞれに与えられた課題
次女の難病発症は、それぞれの自立心に繋がったのだと思います。
いま、苦しい時期を迎えている人にとって、マイナスにしか思えない現状が未来のプラスに変わることを願います。
難病克服支援センター
戸田