混合性結合組織病 ~嬉し涙に変わった日~

混合性結合組織病 滋賀県女性

15歳の時に手にレイノー現象が表れ、左手の人差し指に血豆のようなものができる。

膠原病の心配もあって大学病院を受診すると、抗体検査の結果は陽性反応。

ただ、その他の症状が出ていないことから、病名はつけられることはなかった。

「2年くらい経たって、症状が表れないと病名は付けられないが、この病気は一生治らない」と医師から言われる。

血流を良くする薬を服用するも、副作用で中止。

「心優しい娘の為なら、自分の命を差し出してでも治してあげたい」とお母さんは思われたそうです。

いろんな情報を集める中で、難病でも治るんだということを知り、当センターに面談に来られたのは、1年半がたった2018年2月のことでした。

お母さんは私の娘が難病を克服し、元気に過ごしていることを知り、「同年齢の娘も必ず」と思ったそうです。

そこから食事改善、腸内環境改善、デトックス、その他にも体に良いと思うことを取り入れ、お母さんは祈るような気持ちで日々で実行し続けました。

すると、1ヶ月が過ぎた頃には、毎日のように続いていた頭痛が消えていき、その後少しずつ部活にも参加できるようになっていきました。

さらに3ヶ月が過ぎた頃には、大量便が出たりと様々な良い変化が起ました。

それにつれて、レイノー現象も薄くなっていき、指先の感覚も取り戻せていきました。

そして、すっかり健康になられたとのことで、面談から1年半が経った2019年8月31日に、当センターにて卒業式を行うことができました。

お母さんは、医師の言葉で絶望した時のことを振り返り、「こうして元気になって、卒業式を迎えられることが本当に嬉しい」と泣かれていました。

相談を受けている時も、時々不安になり泣きながら電話をかけてこられましたが、卒業式ではそれが嬉しい涙に変わっていました。

本来はご本人への難病卒業式なのですが、今回はよく頑張られたお母さんにもという気持ちが強く、表彰させていただきました。

お二人とも病気を通じて気づけたことや学んだことは大きいと言っておられます。

この経験が、これからのご家族の健康の支えになると思います。

ご丁寧にお母さんから感謝のお手紙をいただき、その内容をみて「そんなこともあったな。。。」と懐かしい気持ちになりました。

難病克服支援センターの宝物として、保管しておきたいと思います。