多発性硬化症克服 49歳男性 ~ストレスに負けない強い体へ~

三重県でドライバーをされている男性から連絡があったのは2017年の年末でした。

最初に感じた体の異変は2017年の秋、手が痺れ、その後に顔が痺れ、足も痺れてきたそうです。

その後に、目眩やふらつきが出始めて病院へ行くと、即入院。

様々な検査を経て、多発性硬化症との診断を受けたそうです。

ステロイドパルス治療が始まり、テクフィデラを1日に120㎎服用、その2週間後に240㎎服用。

免疫抑制剤を一生飲み続けることに反発を感じ、生きることに絶望したり、諦めて病気を受け入れたり、精神的に不安定になったそうです。

ちょうど、その頃にお電話をいただき電話相談を行う流れとなりました。

この病気はストレスや無理が積み重なり、その後に発病されている方が多いのです。

ですので「症状が出る前に何かストレスや無理はしなかったですか?食事や睡眠は?」と問いかけてみました。

すると、その年の春から職場のチームリーダとなり、対人面での気苦労がストレスになっていると自覚されていました。

元々、少し気が短いところもあり、人と接点の少ないドライバーという職業を選んだそうです。

チームリーダーは業務を潤滑に回すだけでなく、働く人たちの調整も必要な立場だったので相当なストレスだったとのことでした。

3年前に突発性視神経炎を患った時と同様に後頭部が熱くなったり、ストレスから甘いものを過食したりと身体への危機感もあったそうです。

それでも、夕食は自宅で健康的なものを食べているという安心感で、朝はパン、昼食はコンビニや外食で済ませていたそうです。

「まず、食べ物で体を作り替えよう、体に溜まった毒素を出し切りましょう、仕事は無理をせずに自分の体を一番に考えていこう。

それらを継続することで、薬を必要としない体へと変えていきましょう。」

電話相談では、そのような話をさせていただきました。

それがキッカケとなり、お渡しした食事資料を元にランチ持参で仕事へ行き、自宅の調味料も買い替えをされました。

そして、その時の症状や体の変化をみていきながら減薬を目指されました。

素直でストレートな性格のため医師との衝突も多く、闘病中はそれが大きなストレスになっていた時期がありました。

ですので、そうならない為のアドバイスや、そんな時には気持ちを吐き出すようにと、何度もやりとりをしたのを覚えています。

体の変化としては、1か月後には便秘気味だった便通が良くなりました。

2018年2月にはテクフィデラ240㎎→190㎎(カプセルを外して中を取り出しての減薬)

2018年3月にはテクフィデラ190㎎→140㎎(カプセルを外して中を取り出しての減薬)

その後に症状が強くなり、医師からは再発だと言われてステロイド30㎎を追加服用することになりました。

真面目な方なので、仕事の事を考えて焦ったようです。

テクフィデラを上手く断薬された人の例などをお伝えし「焦らずに体を変えていきながら断薬を目指しましょう」とお話しさせていただきました。

その後はステロイドを無事に断薬でき、2018年6月テクフィデラ120㎎のみの服用となりました。

食事改善から9か月後の2018年8月には、テクフィデラ120㎎を続けながらですが目眩や痺れなどの症状は全くなくなり、体調を良さを実感できるようになったそうです。

また、仕事を終えた後に疲れを感じにくくなったとも言っておられました。

仕事上、繁忙期は勤務時間も長く1日に10時間を超える日が続くようです。

ですので、しばらくはテクフィデラ120㎎で様子をみながら体を作り替えていき、体調面での不安がなくなれば、また減薬にチャレンジする

そのような方法で、仕事の忙しい時期を乗り越えていかれました。

2019年4月にはテクフィデラ60㎎

2019年7月のMRI検査では、脳の病巣が綺麗になくなっていました。

2019年11月にはテクフィデラ30㎎

2020年1月にはテクフィデラ15㎎

2020年5月にテクフィデラ断薬に成功されました。

2019年1月から病気の症状は全くなくなり、2019年7月のMRI検査で脳の病巣がなくなり、仕事をしていても発病前より明らかに体調が良かったそうです。

治ると実感されてからは、焦らずに確実に健康体を手に入れたい気持ちが強くなり、断薬は2020年5月になったとのことです。

闘病中の目標は難病卒業式をしてもらうこと、元気になったら好きなことをしようと決めていたそうです。

5月に予定していた難病卒業式はコロナの影響で12月になりましたが、好きだったバイクに乗ったり、ドラマーとしてバンド活動を再開されたそうです。

地獄と天国の両方を味わったようだと、今、元気でいれる自分が嬉しいと言っておられました。

自分の経験を闘病中の方々の希望や力に変えたいとも言っておられ、克服ストーリーの取材にも応じてくれました。

克服ストーリー:当たり前だったことが、今では大きな幸せ