難病克服ストーリー vol.3

絶対に私が治す!

 

私は大阪の高槻市でからだに優しいごはん屋さんをしています。
麹や醤などの発酵調味料を使い、野菜を中心に健康に配慮したお料理を提供しています。

食と健康の大切さを考え始めたのは、娘の病気がきっかけでした。

今年25歳の次女が、まだ小学校2年生、8歳の秋でした。
突然お腹が痛いと言い出し、下痢と微熱が続きました。

赤ちゃんの頃からよく風邪をひき熱を出す子だったので
「また風邪をひいたかな?」
近所の小児科も診てくれる胃腸内科に連れて行きました。

風邪で処方された薬を飲ましても、症状はひどくなるばかり。
「ほんまに風邪なんやろか?」

心配になって、大きな総合病院でも診察してもらいました。
でも、小児科部長の先生も同じように風邪だと言いました。
「この下痢、ほんまに風邪からなん?」

薬を飲ませても微熱は続き、食べるとすぐに水のような下痢。
そのうち便に血が混じり、立ってトイレにも行けなくなりました。
「絶対風邪なんかじゃないって!」

素人目にも明らかに様子がおかしい。
医療知識もなんの根拠もないけれど、医学本から腸の病気を探しまくりました。
「これや!!」と確信できた病気は”潰瘍性大腸炎”

血便を持って病院に行き、腸をみてほしいと訴えても、医師は一笑するだけ。
固定観念で検査すらしてもらえず、どんどん悪化して起き上がれなくなりました。
「あかん、このままでは死んでしまうかもしれへん」

なんとかしなあかんと、最初に診てもらった近所の胃腸内科を訪ねました。
先生に経過を伝えて、もう一度よく診てくれるように頼みました。
「大きな病院の先生がそう言うんやし、風邪がこじれたんやろ」

「まがりなりにも胃腸科やろ!? 今すぐ腸を診て!話はそれからや!!」
もう我慢の限界でした。
あんなに怒ったことは、私の人生のなかでも初めてのことでした。

直腸を診てもらうとびらんだらけで、出血もひどいとのこと。
「だから言ったのに!!」
悲しさと憤りが入り混じった何とも表しようのない気持ちが押しよせました。

風邪じゃなかったとわかるまでに、既に1ヶ月半を費やしていました。
検査する病院は自分で探しすからと、仮の宛名で紹介状をもらいました。
小児用大腸ファイバーのある病院に入院できたのは12月の末でした。

当時は”潰瘍性大腸炎”の患者数も病気に関する情報も少なく、
原因追及の研究が始まったばかりでした。
主治医も治療したことがなく、症状を抑える薬を一生飲むようにと言いました。

「一生、薬を飲むって治らないってこと?」
「治らないと言う先生は、治せないってことやん」
「絶対に治す!治せる病院を探してみせる!!」
また病院探しになりましたが、ようやく治療先を見つけることができました。

西洋医学と東洋医学の考えをバランスの良く持っている先生でした。
症状によっては薬を使い、良くなってきたら薬をやめられる。
免疫力をあげる為に、食べ物の見直しは必須でした。

乳製品や消化の悪い物はもちろんのこと、添加物を避け、
調味料なども自然なものに変えました。
日々の食事を徹底的に見直し、勉強しました。

また、メンタル面も病気に影響したのではと思いました。
母と娘2人だけの家族でありながら、どうしても上の子が気にかかり
下の娘を同じようにかまってあげれてなかったと猛反省…

人にゆだねて責任転換するのではなく、「絶対に私が治す」という覚悟。
治せるという根拠のない自信と、治すことだけを考えていたから頑張れました。

元気になったと思えるまでに1、2年はかかりました。
身体が整った後はなんの心配もなく育ち、社会人として頑張っています。
検査だけ受けていた病院でも「治った」と太鼓判をもらいました。

戸田さんとの出会いをきっかけに、娘との経験をますます活かしていきたいと思っています。