視神経脊髄炎 (ストーリー vol.2)

難病克服もマラソンもゴールできたよ!

 

2018年2月、愛媛マラソン42.195Kmを
完走しました !!

「体力あるな~」
「運動が得意なんだ~」
って、思われるかもしれません。

いえいえ、もともと運動は苦手です。
そして、2年前までは難病患者でした。

2015年のお正月、激しい嘔吐、眩暈、ふらつきなど、明らかに病気かもという異変を感じて受診をしたところ、多発性硬化症の可能性があると言われ、検査入院となりました。

その後、歩行困難、眼振があらわれ、MRIで脳の病巣も見つかって、”視神経脊髄炎”と診断されました。

「何で私だけ10万人に1人の難病になったの?」
「そんなに私、悪いことした?」
それが正直な気持ちでした。

元々、看護師で病気の知識があったがゆえに、年長さんの娘、6ヶ月の息子、家族のことを考えると絶望的な気持ちになりました。

病気をスマホで検索しては、恐怖と不安、どんどん絶望的な気持ちは強くなっていきました。

そんな日々の中、一筋の希望を見つけました。
それが難病克服支援センターでした。

「難病が治るってどういうこと !? 」半信半疑でした。
でも、「これは本当なのかも?」と思い始める自分もいました。

まだまだ自分の病気を受け入れられていないパニック状態の私でしたが、退院後に電話をしてみました。

電話で安心を得られたこともあり、大阪の事務所まで面談に行きました。
その時、センターの元相談者で、”多発性硬化症”を克服した若い女性に会わせていただきました。
薬を飲まずに症状がでることもなく、元気に過ごしている姿がそこにありました。

その姿を見た時に、精神的に追い詰められていた気持ちがスッと楽になり、希望が湧き上がりました。
この女性との出会いがあり、過去に目を向けず、明るい未来だけを考えようと思えたのです。

その日から食事を変えて、体に良いと言われていることを積み重ねていきました。
すぐに明日から始められること、治ろうと行動できていることが自分の支えとなりました。

それでも不安や恐怖に襲われることも多々ありました。
そんな時はセンターに電話し、また前に進みました。

希望を持つこと、未来に目を向け続けていくことが、凄く大切なことだと思いました。
家族に支えられ、いろんな人の力を借りて、私は”視神経脊髄炎”を克服することができました。

前を向いて実行し続けられたのは、希望となる姿、難病を克服した方の存在でした。

今年の2月に愛媛マラソンに参加したのも、
誰かの希望につながればという気持ちからです。

これからもいろんな事に挑戦していき、その姿が誰かの希望に繋がればと思っています。

越智 恭子

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ひまわり健康予防研究所 代表

ニュースキャンという波動を調整する機械を使って、病気の方をサポートさせていただいています。

 

うれしいお知らせ記事
https://kokufuku.jp/2016/10/02/【視神経脊髄炎】